「ちえちゃんはなんでこのイベントがやりたいの?」
イベントの内容が決まり、告知をし始めたある日、大切な友人がかけてくれた言葉。昨年学生さんに職業に対する相談を受けたこと、ねいろとして日々活動をしていくなかで、『まち×ねいろ』という活動をやっていきたいことがはっきりとしてきたこと、
娘が生まれてから自分の国や地元の未来への不安が強まったこと、などいろいろと説明してみたのだけれど、彼女はなにか腑に落ちない様子で聞いていた。
「それはわかる。全部伝わってる。でも、"なんで"このイベントがやりたいのか、ちえちゃんが心突き動かされるその想いの根底はどこにあるのか、そこがまだ見えてこない気がする。今のままだと私がこのイベントを誰かに紹介するときに、この子は何を成し遂げたいからこのイベントをしたいと言っているかを伝えるのがちょっと難しい‥」
私のなかでは普段からSNSなどでもめちゃくちゃ想いを発信してきたつもりだったからまさかこんなにつっこんで話を聞いてもらえると思っておらず、しばらく言葉を失った。
それから少し考えてみた。
そうしてふと、自分の中に浮かんできたワードがある。
【"日本なんて‥"、"田舎なんて‥""自分なんて‥" という自虐めいた空気が苦手だ】
かつて私も「自分なんて」が強くて強くて自分のことが好きになれない時代があった。中学までの私だ。容姿コンプレックスが強く、コミュニケーション能力もそんなに長けていなかったあの頃、友人と上手くやるのもめちゃくちゃ下手くそだった。
高校に上がってからはそんな私の良さをみつけてくれる友人との出逢いがあって、大学に進学してからは、「そのマイナス発言禁止!」と私の発言を聞く度に注意してくれる友人に巡り合った。そんなことの繰り返しで、少しずつ『私は私のままで良いんだ』という想いが強まっていった。社会人になってからもコミュニケーションの面ではいっぱい失敗したし、結婚式の仕事は人間力を試される機会も多いからズタボロになったりもしたけれど、いろいろな価値観に触れるうちに段々と見方を変えるおもしろさを知っていった。というより、もともと自分自身は発想の転換や視野を広げてみるというのがほんの少しだけひとより得意なんだと気づいた。
ここ数年(本当はもっと前からなのかもしれないけれど)時代の流れなのか、どこからそうなったのかははっきりわからないけれどなんとなく日本に対する自虐史観のような空気を感じることが増えた。
「保育園落ちた日本死ね」という言葉が流行った頃、田舎町で生まれ育った私にはまったくぴんとこない現象が日本のどこかで起きている‥と衝撃だった。なぜなら、自分が小さい頃はその地域に生まれた同級生はみんな漏れなく同じ保育園に通い、同じ小学校に通い、同じ中学校に通い‥とその歳になったらそのまちの学校に通うのが当たり前だったし、まず「落ちる」なんてことがあるなんて知らなかった。だから私の中ではセンセーショナルな発言だったし、そもそもなんで日本って都会だけに人口が一極集中してるの?と疑問が湧いたできごとでもあった。
そんなできごとが起きていた当時、働いていた京都市内の式場には京都市外や洛外からのお客様がとても多いんだなあと感じていた。「うちの地元はなんもなくて‥」と1時間以上かけて来てくださっているお客様が口々におっしゃった。
―なんもない‥そうなんかな?とぼんやりと疑問が湧いていた。そういえば私の地元である滋賀でもそんな言葉をよく聞く気がするなあ‥となんとなく感じていた。
フリーランスになると決めた当初、どうやったらひとりで運営していけるかがわからなかったから東京のフリープランナーさんの元へ1ヶ月程度勉強に通わせてもらった。
「上嶋さんはデザインができるから、都会のお客さんにアプローチして、滋賀や京都にお客さんを呼ぶのもいいかもしれませんよ?」と言ってもらった。
そういう方法もいいのかもしれない‥でもその時の私にはなにかしっくりこないものがあった。都会のひとを呼ぶ前に、まず地元のひとがあんまり地元の良さに気づいてないんじゃ‥そんな気持ちも湧いてきた。
それからだった、「なんもない」って思い込んでいるだけで、実は見方を変えれば素敵なこと、面白いことっていっぱいあるんじゃないか?1度地元で撮影してみよう、そんな私の想いに賛同してくださったカメラマンさんやヘアメイクさん、モデルさんに協力をお願いして地元である信楽でモデル撮影をすることになった。
これが思わぬ反響を呼ぶことになった。地元のひとたちが「信楽っていいとこなんやな」「めっちゃいいやん」と口々に言ってくれた。いや、もともとめちゃくちゃいい。信楽って他のまちにはない独特な"エモい"空気が流れている。なんとなく感じていたけれど、それを表現したのは初めてだったから、確信に変わっていった。そうして、信楽だけではなく、滋賀県の各地を見てまわるなかで滋賀県全体が歴史深く情緒あふれるまちだということに気づいたし、滋賀県全体が"エモい"んだと思った。
まちの雰囲気も、ひとの優しさも知れば知るほどに魅力を感じる。知れば知るほど滋賀が大好きになっていく。
だけれど一方で、「滋賀はなんもない」「滋賀や○○(特定のエリア)で何かやっても人なんか集まらない」という声もまだまだ聞くし(もちろんめちゃくちゃ頑張っておられる地域や個人、団体さんも滋賀の各地にはたくさんおられることもじゅうぶんわかっているしそんな方々には尊敬の想いしかない)しがらみや諦めのような空気に触れるたびにモヤモヤが募っていくのを感じる。諦めは半分他人事に感じるからだろうか。『自分の住むまちやん?自分の住む国やん?諦めてていいの?この先、娘たちの未来は?』などと考えているうちに、やっぱりこのままでは良くない気がする‥という想いが日に日に強まっていった…というのがこの企画の発端なのだとおもう。
こんな非力な一個人になにができるのかは正直まだわからない。結果的になにもできないかもしれない。自分の無力さを知って打ちひしがれるときがいつかくるかもしれない。でも、諦めるのは簡単だ。誰かに任せておけば責任が生じないし楽だ。だけれどそれだと娘が生きる未来は守れないかもしれないと不安になるのだ。
そして、かつて私自身が感じていた「自分なんて」。この感情を手放してから気づいたものがある。「自分なんて」は自分に強く意識が向いている。でも、「自分なんて」を手放し、自分のことを好きになれたら、相手に意識が向くということ。そうすると勝手に自分ではない誰かのことが見えてくる。自分のことは一旦置いておいて、誰かへ気持ちを傾けようとできること。もちろん常にそんな完璧でいられるわけではないし、日々生きていれば誰かを傷つけることだってある。だけれど、それもひっくるめて自分だ。そんな弱い自分も認めてあげる。大事にしてあげる。これが大事なのだと日々感じるようになった。
だからこそ「自分は何をするのが好きなのか」「自分は何をしているときが楽しいのか」「自分が不快と感じる原因はどこにあるのか」と自分に向き合うことはものすごく大事なことだ。そのためには他者がどう感じ、どういう想いで過ごしているかに触れ、自分自身の視点を増やすことも大事なのだとおもう。
他者のことばは自分を知るための肥やしになる。だから、たくさんのひとの心や想いに触れるきっかけを子どもたちにつくっていきたい、それは人生の選択肢を増やすきっかけにもきっとなる。これが私がこのイベントを立ち上げた理由。
偉そうなことをつらつらと書いてしまったけれど、とにかく参加していただきたい。今回のイベントはねいろにとっての初開催。「初めの1回はもう2度と来ないから」。冒頭で私に質問を投げかけてくれた友人からのことば。そうなんです、これが泣いても笑っても初めの第一回目。実は会場を下見させてもらう前に会場を決めてしまって、想像以上に広い場所でビビり散らかしています‥ぜひ、この記念すべき第一回目をひとりでも多くの方に見届けていただけたら嬉しいです。